熊本県葦北郡芦北町丸山  瀬戸橋調査報告書  
     
                                             
  A   概要                                    
                                       
1 依頼者
2 依頼内容
 瀬戸橋は大正9年に創建され、これまでに大きな改修もなく、私道として利用されてきた。最近に
なって芦北町が管理する町道橋として格上げされたが、壁石のハラみが顕著でいつ崩壊するかわから
ないような現況を呈している。芦北町の文化財として、どのように修理し維持していくのかが課題と
なっている。ついては専門工事業者の視点での調査・評価・提案が欲しい。
3 調査・報告者 熊本県上益城郡矢部町千滝222-1  株式会社尾上建設 代表取締役 尾上一哉
調査員 尾上一哉 (1土施、1建施、1園施、測量士S53-3067)
補助員 1名 (日本の石橋を守る会 会員)
4 調査日 平成17年09月07日(水曜日)午前11時〜
平成17年09月17日(土曜日)午前10時〜
5 与件
名称: 瀬戸橋(せとばし) 架橋: 大正9年(1920)
所在: 熊本県葦北郡芦北町大字丸山
長さ: 13.6m 幅: 3.3m 石工 田中三作
解説: 梅の木鶴橋から700mほど下流にある橋。梅の木鶴橋の二年後に同じ石工によって
架けられた。この橋も現在は鉄製の手摺りが付けられているほか、橋面はアスファ
ルト舗装され、民家の私道として利用されている。
(熊本日日新聞社発行「熊本の石橋313」より)
 瀬戸橋の向こう、左岸側には三軒の民家がある。上流側から坂本家・鬼塚家・倉井家である。
が、倉井家は瀬戸橋ではなく別の橋を利用している。この倉井家は大正9年当時、家長の大丈
夫(ますらお)氏が葦北町議会議員をしており、世話役として梅木鶴橋・瀬戸橋の創建に携わ
ったそうである。写真資料も保存されているようであり、資料や聴き取り調査記録が、文化財
保護委員会にある可能性があり、詳細計画にあたっては参考にすべきである。
 石匠館館長上塚尚孝氏によると石橋に「石工 佐敷町 田中三作」と小さく彫り込んである
が、田中三作は天草の出身で、架橋当時は佐敷に住み、現場を往復していたそうである。丸山
周辺に石切場の痕跡が見あたらないので、石材は地元産ではなく、佐敷を経由して他地区から
搬入された可能性がある。
 詳細は、上塚尚孝著「熊本のめがね橋シリーズ1 眼鏡橋礼賛」を参照のこと。
  B   調査報告のフロー                            
                               
  C   現況把握                            
                               
1 基礎
 充分な耐力を持つ、変成岩系の河床岩盤を整形して基礎石を
設置してある。二段の基礎石を持つ。一段目の基礎石は継ぎ目
を少し開けてあり、背面からの排水を促す目的だと考えられる。
 二段目は継ぎ目の隙間が見えないほど密着されている。輪石
の基礎として均一な面を設えるためかどうかは不明である。
 岩盤に直接輪石の根石を据えて積み上がった石橋が多い中で、
瀬戸橋は基礎石を二段構えに据え、フーチングとしての小段も
設け盤石なものとしている。石工の几帳面さが顕れているよう
右岸基礎状況 であり、二段目の基礎石の表面を、左右岸まったく同じ高さで
同じ仕上げ方をして、輪石積みに備えたと見受けられる。
 石橋のアーチの基礎としては、最も基本的かつ理想的な工法
であり、最も堅牢な形式でもある。
 周辺にかなり大きなの転石(玉石)が堆積しているが、岩の
質と大きさからすれば、これを瀬戸橋に流用したとは、考えら
れない。中詰め石に利用した可能性はあるが、壁石を解体して
みなければ判らない。
 壁・基礎・輪石など、ほとんど安山岩系の石材のようである。
左岸基礎状況
2 輪石(アーチ)
 基礎石の水平継ぎ目にはモルタルを使用していないが、輪石
の水平継ぎ目は、約2cmほどモルタルを敷いて積上げたのでは
ないかと思われる。化粧目地としてモルタルを盛り上げてある
ので判別しづらく、ハツリ採ってみなければ正確には判らない。
 仮にモルタルが敷いてあれば、輪石を解体して移転する場合
には、モルタルを丁寧に除去せざるをえない。また、モルタル
の厚みの管理ができていなければ、従来の半径を確保できなく
なるので、注意が必要である。
右岸輪石状況  堅牢で風化しにくい輪石であり、耐用年数は長いと見られる。
 一般的な石橋と比較して、輪石の厚さがやや薄目ではあるが、
堅牢に配列されている。風化もほとんど無く基礎の変位による
破壊もない。幅40cm×厚45cmが標準断面のようである。
 材料は熔結凝灰岩ではなく、安山岩系ではないかと思われる。
 輪石の表面の白いものは、セメントによるアルカリ骨材反応
で発生した結晶物が主体であると見られ、点々と地衣類が発生
している。表面だけの問題であると考えられ、風化の直接原因
にはなりにくいが、石材にどのように浸透しているのかは不明
である。外観も良くないので、今後はセメント系の補修工法や
中央部輪石状況 表面舗装などは避けるべきだと言える。
3 壁石の地山取付部「基部」
 地山に接する壁石は、石橋から支持地盤に力を伝える重要な
部分であるが、地山にあった石をそのまま利用して位置を整え
壁石の基礎にしたと見受けられ、ぞんざいな印象が否めない。
 右岸上流は台風14号(2005/9/4)により田の畔が決壊し、
河川側の雑石積みが崩落している。支持地盤の地肌には砂礫層
が見られ、以前は河床だったか、河床土を盛土したか、どちら
かであろう。いずれにせよ両岸の「基部」は、かなり締まった
砂礫転石混じりの土で堅牢な地盤ではあるが、洗掘に対しては
脆弱だと考えられる。(黄色楕円点線)
 砂利転石混じりの地山から直接、壁石垣を積んだのち、転石
左岸下流壁石基部 を乱に積んで壁石垣の根を固め、護岸取付石垣または袖石垣の
役目をさせているようである。しかし、輪石基礎をあれだけ几
帳面に仕上げた石工が、壁石の基礎と護岸の石積みをこのよう
に粗雑な仕上げ方をするのだろうか、と疑問が残る。
 田中三作は輪石だけ積んで、壁石・高欄・護岸は石工の手が
替わったのではないかと仮定すると、上流の梅木鶴橋の壁石の
積み方が違ってよいはずだが、ほぼ同じである。(と、検証を
重ねていくうちに「梅木鶴橋」の竣工間際、「瀬戸橋」の竣工
写真が出てきた。ほぼ一次調査結果の推測どおりであった。)
 基礎部も含めて、斜面を保護するには安価で合理的な積み方
右岸上流壁石と台風被害 だが、垂直壁には絶対適用してはならない最悪の工法である。
4 壁石
 壁石はハラみ、輪石から大きくはみ出している。特に顕著な
左岸下流では20cmほどハラんでいて、いつ崩落してもおか
しくないような状況である。壁石はほぼ布積みであるが、ハラ
み出した石を観察すると、単純な間知石であり、いわゆる毛抜
き合端で石垣を築いてある。中詰め石も特にハラミ出しを止め
るような工夫も見られない。ごく一般的な空布積みで壁石全面
を垂直に築いてある。外力に対して無防備な積み方である。
 壁石はほぼ40cm×40cmで揃えられたと見られるが、左
右岸で若干サイズが違い、橋の上のほうでは小さい。控え(奥
行き)は、ハラらみだした石材を1個測った限りでは50cm
である。
 輪石に接する部分も毛抜きアイバで加工してあり、地震など
によるズレが発生して右図のように
ズリ下がり、輪石にカブってき
見かけ上、輪石が薄く見える。
 隣り合う石も引きずられる
ように移動するので、結果と
して、写真のようにタテに
隙間が発生し、壁石全体が
弛んでいる。
5 高欄


 高欄はコンクリートと鉄パイプである。高さは親柱で60cm。
石で作られた親柱をコンクリートで巻き加えて鉄パイプの受け柱
としている。鉄パイプによる手摺り子の基礎になっているコンク
リートの土留めの下は、長尺の石材が使用されているが、これが
高欄の一部かどうかはわからない。
 もともと高欄があったのかどうかが現段階では不明であるが、
蔵井家に創建当時の竣工写真がある、という情報がある。
 高欄を復元または新設するのであれば石材を使用すべきである。
しかし、現在の安全基準による高さを実現すると安定せず、逆に
危険である。また、橋全体としての均衡や美観が破壊され文化財
の価値を損なう。高欄の安全基準を文化財に適用する場合の特例
や、事故補償の適用除外などないものか。
 表面はコンクリートで舗装してあるが、クラックがあまり入っ
ていない様子からすると9mm程度の鉄筋が入ったスラブコンク
リートの可能性はある。壁石の修復後、再び表面を舗装する場合、
できれば石貼り舗装か、アスファルト舗装とし、セメントコンク
リートの使用は避けた方が賢明である。(シリカ反応など)
  現況考察・総評・問題点の抽出                        
                         
 基礎・輪石については、その立地・工法・風化の度合い、どれをとっても申し分のない優秀な石橋で
ある。しかし、壁石は採用してはならない工法で実施されており、アーチの完璧さを台無しにしている。
壁石さえ基本通りの工法に改修すれば、半永久に存在する高い価値を持った石橋に生まれ変わることが
できる。しかし、壁石を創建時の状態に復元すると、再び同じ問題が発生する。もともと不完全な施工
だったことを実証し、より正しい工法に改善し、時代を超えて維持していく姿勢が重要である。
 また現代工法の採用、例えば接着剤やアンカー、ピンニング工法等は、部分緊結としての応急効果に
優れる。しかし、石橋全体の多種多様な応力は、部材がすべて分離していて始めて成り立つものが多く、
うかつに緊結や補強をすると全体の性質を損ない、新たな破壊の誘因になる可能性は極めて高い。
 瀬戸橋は末期症状ではなく、生まれ変わって数百年生存できる石橋なので、50年の実績もない現代
工法は原則として退け、天然素材のみを使用し、基本的で単純な工法を採用すべきである。
  その他の情報                                  
                                   
1 間知石の空布石積はいたるところに存在するが、民家の石垣でも空布石垣は創建時の姿を保って
いるものは少ない。何らかの補修や積み直しが行われているか、または必要である。
2 橋面を舗装する場合、路盤または路床材として大口径の石材以外、特に土砂などを充填して内圧
が発生し、壁を上下流に押し広げた例は多い。
3 洗掘されないように、地山の深い位置からの壁石の築き立てが必要だと思われる。
4 瀬戸橋のアーチ内の計画通水断面が不足すれば、改修できず移築せざるを得ない可能性がある。
(流量計算ならびに、本件と似たケースで現在地に石橋が残された実績のデータの捜索等必要)。
5 瀬戸橋の二年前に創建されたという、梅木鶴橋は、ほぼ同じ規模で同様の工法で架橋してある。
壁石は左岸下流には、壁石を積み直した形跡が残っている。左岸上流は輪石と壁石の接する部分
が、瀬戸橋と同じようにズレ、毛抜きアイバで積まれた壁石がハラんでいる。
6 次は中国の石橋であるが、どの橋も直方体の花崗岩・安山岩などで作られ、垂直壁にはほぼ例外
無しに、上下流の壁石の幅止めとしての釣石(中国での名称は不明)が施工してある。中国産材
は、地震が少ないせいか亀裂が少なく、長尺の石材が採れる。したがって釣石は単体(1本)で
施工されている。さらに釣石は下から一本の石柱で支えられるという念の入れようである。その
柱には漢詩や、叙事が彫り込まれるなど、古き佳き時代が偲ばれる。
日本の石橋は地震に怯えながらも、安普請をせざるをえなかったものが多いので、できる時代に
せめて最低限の仕様(直方体の石材、釣石など)を装備し、優秀なインフラとして存続させたい。
  原因把握・推定・考察                          
                           
1 地震等でズレた可能性が充分。橋上舗装の路盤・路床材の沈下もハラみを増幅している。
間知石による空積み
(毛抜きアイバ)
アイバ(相羽・合端など)とは、
隣合う石が接する部分であり、
アイバを鋭角に加工した間知石
では隣り合う石と石は、線で接
していて、その断面の姿から
「毛抜きアイバ」などと呼ばれ、
上部からの荷重に弱く、地震や
少しの偏圧でズレる可能性は
非常に大きい。
間知石による空積み
 線ではなく面で上部からの荷重を受け、より頑丈な石垣に
しようとしたものが「三寸アイバ」に加工した間知石である。
 一般の間知石より控えも長く、石橋の垂直壁にはよく用い
られているが、現代では標準品としての販売はしておらず、
特注材料となり、当然高価である。
 高石垣としての垂直壁を積む場合は、通潤橋で使われた
ようなほぼ直方体に近い石でなければ無理である。通潤橋の
場合は、さらに、鞘石垣でスッポ抜けを防ぎ、釣り石で上下
流への壁石のハラみを押さえている。
通潤橋で使われた石垣
 瀬戸橋の場合、壁石を修復するにあたって、現在の壁石は
復元する壁に使用してはならない。
一つの結論
壁石を除く他の重要なパーツはどれをとっても優良な
文化財であるため、壁石を正統な石材に取り替え、
左右岸に用心釣石を設置して修復する。
  是正・予防処置の計画(アウトライン)                      
                       
現位置で壁石を修理して、今後数百年、使用していく、という考え方。
最も理想的な、文化財保護の考え方。これまで瀬戸橋無しには成り立たなかった河川左岸の旧家も
良質な保存がされているようである。石橋から向こう岸に向け大正時代からの生活文化圏をその
まま、エリアとして保存することができる。原風景としても優良な文化財としての評価ができる。
高欄を復元または設備しようとする場合、現代の法に照らして1.1mとした場合、石材では危険。
その他の工法を取ると文化財としての景観を破壊してしまうので、充分な検討が必要。
断面不足等の理由で、現位置ではない場所に移転・修復する、という考え方。
移転先の地形・地質・周辺環境次第で計画が異なるため、移転先がある場合に計画する。
その他の考え方。
  Aを採用した場合の、ラフな工程                      
                       
0 迂回路の確保。
1 手ばつりによる、高欄の撤去。各種ライフラインの埋設位置確認。
2 支保工の設置。(鉄骨の簡易支保工。輪石が衝撃で動かなければよい)
3 壁石・中詰めの解体・撤去(仮置き)。両岸均等に手作業+クレーン。
4 両岸支持地山まで掘削。確実な壁石の支持基礎の確保。
5 三寸アイバ以上の石による、高石垣積。空布積み。両岸に1箇所ずつ、釣り石を設置。
6 中詰め石は、丸石の使用禁止。立体的な乱積みを意識し、壁石への荷重負担を抑える。
7 既存の壁石は、左右岸の護岸に流用。
8 前もって原寸図で加工した高欄を取り付ける。
9 橋上舗装。予算が許せば石張り舗装。
  総括                      
                       
以上で調査報告を終わり、別紙に、
1 概算見積書(移転せず、直方体の石材で修理した場合)
2 特記仕様書(概算見積書の内容の条件及び説明など)
を添付して、成果品と致します。