よくあるご質問(目次)





1 通潤橋に使われている石の数は?

壁石(上流側)2106個、壁石(下流側)1983個、アーチ石(輪石)450個、石管(3列計不可視部推定)659個、ほぼ見える石は全部で
5198個です。
土に埋まって見えない壁石を加えると、全部で約6000個程度だと言えます。
( ただし、敷石・鎖石・中詰石、取入口、吹上口、その他階段石などは含みません。)

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2 過去に今回のような修理工事はあったのでしょうか?

通水石管の修理は、昭和35年2月9日に重要文化財の指定を受けるまで、地元の「通潤地区用水組合」により、毎年小修理が行われて
きました。指定後、昭和 37年頃から漏水が始まり、昭和43年には更に目地漆喰の老朽化が進み漏水が甚だしくなり、石管上端は凍害
により剥離するなど傷みがひどくなったため、昭 和46年5月から10月にかけて部分修理が行われました。

そ の後、昭和53年頃から再び漏水がひどくなったため、本格的な調査・修理が必要として昭和57年1月、文化庁の現地指導のもと修理
方針が決定され、昭和 57年7月から調査と応急処置を開始、昭和58年4月から11月まで、取入口・通水石管・吹上口・その他の補修工
事が行われました。

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3 今回の石管水路の漏水状況は?

冬になると大きなツララがアーチから下がり、輪石の凍結融解による損壊が危ぶまれるようになりました。また、曇った日には橋の路面に
水漏れの暗いシミが点々と見えていました。(晴天の日は表面が蒸発乾燥して見えなかったようです。)

平成12年12月の調査の結果、漏水状態を下の4種類に区分、
1 激しく水が噴き出している状態 : 1ヶ所
2 水があふれ出している状態 : 7ヶ所
3 目で観て、水が流れていることが判断できる状態 : 24ヶ所
4 目では漏水と判断しづらいが、濡れている状態 : 98ヶ所

合計、130ヶ所が確認されました。

その他、取り替えが必要な石管があったため、合計148ヶ所の漆喰の補修が当初の計画では必要となりました。その後の追加掘削や、
工事期間中の時間の経過とともに、新しい漏水も発見されましたが、工事が終わり、最終集計をしなければ全貌は見えません。

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4 漏水の原因は?

1 漆喰の劣化により、漆喰の中から漏水している。
2 石管と漆喰の間に隙間ができ、そこから漏水している。
3 石管にヒビが入り、漏水している。

という、大きく三つの主要な原因がありましたが、その後の調査で

4 取入口・吹上口の石垣から橋本体のほうへ漏れだしている。
5 石管自体の性質に違いがあり、水を透過する石管がある。
6 石管をすべて外さないので、石管下部の漏水状況がわからない。

という原因や問題があることもわかりました。

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5 漏水対策案はいくつかありますか?

石管目地からの漏水対策では「昔ながらの漆喰」「セメント系材料」「シリコン系シーリング」「ゴム系水膨張型シーリング」などの材料が
検討されました。

根本的な対策として「石管の中に配水管を入れる」「石管の中にホースを入れる」「石管の中に合成樹脂で防水皮膜を作る」「石管利用を
やめ、石管と石管の間に配水管を設置する」などが検討されました。

が、ベストとは言えないまでも、「昔ながらの漆喰」を使用して補修する方法が 文化財の維持の方法として、最も適切である、という結論に
なりました。

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6 合成樹脂接着剤などを漆喰がわりにすれば?

過去にも、防水モルタル・シリコン系シーリング・ゴム系水膨張シーリングなど、これなら確実に止まる、と考えられる目地補修材が点々と
使われていました。
確かに応急的には漏水が止まったようですが、それぞれに、収縮してヒビが入る・ 劣化が早い・硬化しすぎて石管目地面を破壊するなど
の短所があり、さらに悪いことに、次に漏れだした際に、古い目地材を撤去することができず、石管を破壊しなければならない補修材だ、
といういうことがわかりました。
目地穴に詰められた防水モルタルや合成樹脂等は石管より固いために、また強力に接着していたため、取り除く時に石管の目地部の石
がはがれたり割れたりするため、石管を取り替えざるを得ないものもありました。

先人が、いろいろな材料を試していたのですが、漆喰に代わる目地充填材・工法の確立には至らなかったようです。
今回は原点に戻り、通潤橋が創建された時の「通潤橋仕法書」中の「漆喰のこと」に記述された仕法に限りなく忠実に、当時の漆喰を再現
し可能な限りの仕法書にもとづく工法を採用しました。

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7 石管の中、または、間の溝にパイプを通しては?

過去に、下流側の石管と石管の間の溝を利用して鉄管を埋設して通水することが試されていました。が、耐用年数が10〜15年と短い上に、
石管本来の機能が 使用されないことは、文化財としての価値を損なうものである、とした考え方もあり、創建時の形・機能こそが有形無形に
価値を持つものだとして、修理方針が 決定されました。

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8 修理方針の基本概念は?

通潤橋の最も大きな価値は、石橋の規模や造形美もさることながら、今も水路橋として、創建時の目的通りに白糸大地を潤していることに
あります。
こ の事は創建時の政治・経済・技術、さらに人情や慈愛など、当時の高度な文化背景を、現在・未来に伝えるものであり、通潤橋を訪れる
人々に深い感銘を与えま す。できる限り、創建当時の形と機能を残していくことで、通潤橋が秘める多くの謎を将来の人たちが解明し、更に
に文化財の総合価値を高めていくことこそが 重要である、という概念があります。(やや独断)

したがって、維持管理は地元の人がやれるルールを作り、かつ重要文化財としての価値を落とさない修理方針が採られています。

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9 目地穴は、どのような補修をしたのですか?

漏水している場所は1ヶ所につき8本の目地穴がありますが、そこに充填されている目地漆喰等を取り除き、漆喰を詰め直しました。
多くの石管は、内側の目地穴だけしか詰められておらず、詰め直しも同じように内側の目地穴だけに施工を行いました。それでも漏水する
場合は、外側の目地を>詰めて補強する、という創建当初の仕法に従います。
また、取り替えが必要な石管が20本あり、既存の石管と同じサイズに加工したものを取り替えました。

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10 補修後に再び漏水することはありますか?

あります。 試験施工段階でもあり、完璧な漆喰がどのような在り方なのかも、今回の工事では特定できません。 創建時の漆喰も、やがて
耐用期間が過ぎると漏水を始めます。「いたちごっこ」のような状態は、今後も続きます。

漆 喰の組成や製法、詰め方や養生時間などのほか、気候や温度湿度などの影響も加わり、さらに施工後どれだけの時間で老朽化するのか、
また石管内に水を通さな い時間の悪影響がどのように出るのかなどの条件別に、すべての組合わせ試験・調査ができなければ、理想の漆喰
補修はできません。が、その組み合わせは膨大 というよりも無限に近いので、事実上不可能です。

したがって、漆喰の詰め替えと通水試験を繰り返し、漏水が止まった石管に詰められた漆喰の持つ諸条件のデータを集積・分析し、最終的に
は現在までの資料と実証をもとに、ベターな漆喰のありかたを決定するほかありません。

また、漆喰の突き混ぜ度合いや、詰める前の漆喰の堅さなどは、数値測定を行うことが実際上不可能であり、経験則としか言いようのない
個人個人の勘を高めていくほかありません。匠の技と言える部分でもあります。
また、石管の上と両側面の三方からだけしか漏水を調査していないので、取り替えた石管以外の石管の底は、詳細な様子がわかりません。
1週間ほど通水した後、わずかに湿りが確認できた箇所だけについて、下段の漆喰を詰め替えました。

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11 なぜ石管は三列なのですか?

たいへん難しいご質問です。現在発見されている文献からは、布田保之助と上妻半右衛門との打ち合わせの中で「三列がよかろう」といった話
で決まったらしいのですが、根拠となる送水量の計算などは見つかっておりません。(H13)

通潤橋仕法書の「石樋の事」に「養水の内に、破損修覆のために通水を断故三流にす。」という記述があります。「修理のために水を止めるので
絶えず流すためにバイパスを作り三列にする。」とは読めますが、何故三列か、は、今のところ文献からは、裏付けが見つかりません。
通潤橋工事始末記(:保之助翁の下に勤めた下田易が作成)による「官庁に上書して許を得庶官石工に討論し、石姓を選び外方三尺にして中々
方一尺の空を穿ち三条に分水して是を通する議に決す」という記述からもその内容(何故三条か?)は見えません。
したがって、現在のところ「石管を三列にした理由」はわかっておりません。

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12 それでも気になる「三列」の理由

文献からは見えないので、現実の石管の外周が三尺平方であることから、実証ができるもの、推測できるもの、などを以下に挙げます。

1 水平に突き棒(撞木)で漆喰を詰める為には、石管の横にほぼ三尺の作業用の空間が必要なので、三列の石管の総幅は、石管三本と作業用
空間四列で合計、
7列×3尺=21尺(6.363m)になりますが、計算と現物は符合します。

2 霊台橋より高い橋を造ることをためらった形跡もあることから、橋上に石管の重量が加わる事も加味して、熊本城の大成不動乃石組を施した上、
鎖石で壁を引き、霊台橋の幅5.5mより橋の幅を広げ、頑丈な橋にした事は当然のなりゆきだったのかもしれません。

3 笹原川からの導水路の流量断面がどのように決まったのか、がわかればヒントになるのですが、文献が見あたりません。「水路幅三尺平均水深
一尺」などという記述があればとも思いますがそれらしき文献に辿り着いておりまん。

いずれにせよ、決め手になる事実はありません。皆様のご推測・仮説などを頼りに、裏付けの強化をしていきたいところです。よろしくお願いします。

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13 石管水路の間の埋土を除去して判ったことは?

漏水の場所と原因を特定するために埋土を除去しましたが、今回は石管と石管の間の通路の床の構造に新しい発見がありました。

1 中央の放水用石管の下に、通路部分に溜まった水を排水するために、石をくり抜いた排水口があり、橋の上に大量の水が溜まることを前提に、
設計されていたことが、わかりました。

2 当然、排水口までは溜まった水を導くために、床部分に勾配があり、さらには 石橋本体に浸透しないように、赤土を主材としたタタキ(三和土)風
の仕上げがしてありました。

以上のことから建造当初、石管はむき出しのままであり、大雨の時は自然に放水される姿が見られた、と考えられます。
いつ、どこから漏れるか判らない石管の迅速な修理のために、最も効率的な監視状態を作っていたことが推測できます。

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14 では、石管水路の間の埋土はいつから?

資料を順にさかのぼると、昭和46年に「石管を凍害などから守るため、養生のための盛土が行われた」そうですから、それ以前は石管の上端だけ
が、露出していたことになります。
昭和35年に重要文化財に指定された時の写真でも、石管の上端は見えていますが、石管の間は土で埋められています。
地区の古老の証言でも、石管がむきだしだった記憶はないようですから、約90年前(古老が物心ついた頃^^;)にはすでに埋めてあったことになり、
それ以前の60年間のうち、どこで埋められたかの証左は、現在ありません。

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15 文化財を修復する際の制約などは、ありましたか?

当初の計画になく、作業中に新たな補修を要する部分などが発生した場合、熊本県経由で文化庁に形状変更の検討・許可などを要しましたが、
素早い対応をしていただき、また、特に制約されたようなことはありませんでした。

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16 特殊カメラで石管の中を覗いたそうですが?

石管の外部だけではなく、内部の様子も調査して、より多くの情報をもとに修理の方針を決定するために、特殊なカメラを通しました。その結果、
漆喰穴に詰め られた、モルタルのようなものが部分的に管内にはみ出しており、カメラの通過を妨げるほどの障害が11箇所ありました。また、
石管の水平部分では、管底に セメントノロ状の層がありました。これは昭和57年に松樋を取り替えた際にも確認されており、過去に防水のため
流し込んだようです。
石管内面は、ほぼ同じ 断面に均質に削られており、欠損したりズレていたりする箇所はありませんでした。

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17 撤去した石管の処置は?

撤去した石管のうち、6基は現在保管中です。今後どのような利用のされかたをするかは、まだ決定されておりません。(H14.2.1)
破壊された石管の屑も保管中です。

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18 新しい石管の素材はどのようにして?

節理・亀裂の少ない岩山を持つ採石場が矢部町にありましたので、そこで原石を採取することになりました。が、正方形に近い都合のよい節理を
持つ岩は
殆ど無く、重量にして石管の5倍以上もあるような原石を吟味して採用しました。
石 材の切断工場に運び、節理を確認して大まかな整形を行い、長さ方向の2面は切断機で旧石管採寸どおりに切断しました。次に通水部は仕上げ面から
少し離れた 位置まで円筒状のコアカッターでくり抜き、以降、仕上げ線まですべての面を衝撃の小さいノミ(電動工具)などを使い、手作業で仕上げました。

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19 新しい発見や、相変わらず不明な点は?

1 石管の間の作業用空間の幅(約三尺)は、漆喰の横目地を詰めるために最低限必要であり、創建時は石管の幅をほぼ三尺に揃えてあった、と考えられる
こと。

2 石管の素材の性質や仕上げかたの違いがあり、大きく4種類ほどに区分できるので、創建時の石管は2/3ほど取り替えられた(推測)可能性があること。

3 橋上中央の放水石管の下に、維持管理作業用空間に溜まった水を排水する設備があり、創建時の石管は、むきだしだったことがほぼ裏付けられたこと。

などが今のところ挙げられますが、これまでの調査・試験結果の分析が終われば、また違った発見などが出てくるかもしれません。

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20 予想外の問題などありましたか?

1 取り替えるべき石管のうち、上部より下部のほうが、延長方向に大きいものが あったので、上には抜けず左右にもずらせず、破壊せざるをえませんでした。

2 まだまだありますが、後日追加します。

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21 新聞の報道は本当ですか?

通水試験の結果、五十数箇所からまだ漏水がすることについて、1月26日に「詰め替えた漆喰の突き固め方が不十分だったほか、交換のため石管を外した
際に接合部分がずれるなどしたためとみられる。」などと報道されました。

「突き固め方が不十分」というには、客観的な証拠がまったくありません。
漆 喰の配合や加工時間・突き固め・養生時間など、一連の条件には、まだ確定した手順が完成されておりません。報道当時は「この方法と順番でダメならば、
次は 違う方法を採る」という、試行錯誤の試験中です。多元的な条件が有機的に複合して漏水の原因になっていることは確かですが、精密な調査をしなければ
判らな いことです。

「接合部分がずれる」という表現も、短絡的です。交換の為に抜いた石管には隣り合う石管から相当の圧力がかかっており、抜い た空間に両側の石管がミリメー
トル単位で押し出された可能性はあります。正しく表現するなら「石管と既存の漆喰に隙間ができた可能性がある」のですが、こ れも漏水個所と、石管取替えの
位置関係を調査し、すべて同条件で漏水したかどうかを分析しなければ判らず、代表的な原因の一つとして挙げられるものではあ りません。
県民の新聞という性格上、専門的なことを詳細に表現できないために、誤解を生む表現になったのかもしれません。
2月2日には「工事のために、漆喰が乾いてヒビが入った」とした表現がありましたが、これも「その可能性もある」だけで、それだけが原因ではありえず、 複合的
な条件の差異のどれが主因であるかは、とても特定できる段階ではありません。

誤解を生む原因となった表現のすべては、「・・・・などの可能性もある、ということだ。」という修飾がなければ、工事関係者にとっては、憤懣やるかたないものです。

漆喰も石管もおたがいに刻々とその性質を変える「生き物」であり、塩ビ管を接着剤で接続することとは、技術的・文化的な性格が根本的に違うことを、ご理解いた
だき、今後の報道にお役立ていただきたくお願い申し上げる次第です。

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22 今回の修理の概略の工程は?

1 橋上通行止。石管周囲の土の撤去、および石管の洗浄・清掃
 ↓
2 カメラによる石管内調査、石管・漆喰などの外観調査・測定
 ↓
3 通水による漏水個所の調査 → 漆喰・石管・吹上口の補修箇所の特定
 ↓
4 漆喰の材料収集・製造充填乾燥試験、石管原石採取・試験・加工
 ↓
5 石管取替え・漆喰詰め替・吹上口補修 → 通水試験 → 一部漏水
 ↓
6 漏水箇所漆喰詰め替え → 通水試験 → 止水確認 
 ↓
7 通路床三和土補修 → 石管周囲埋戻し → 橋上通行止解除。
 ↓
8 周辺遊歩道整備・取入れ口補修・そろばん滝補修・他 → 完了 

以 上、工程が前後するところもありますが、平成12年11月6日に着工、平成14年9月に完了です。ほぼ2年間の工期ですが、予算と工期に合わせることな く、
随時発生<する新たな課題に十分な検討を加えながらの今回の修理は、文化財に対して理想的なプロセスで処置されたと考えられます。
(通水試験は全行程で5回、実施しました。)

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23 通常、一回に放水される水の量は?

通潤橋の放水は、取入口水槽のフタを開け石管に水を流し込み、吹上口水槽のサブタの高さ(約0.9m)まで溜まったところで、取入口のフタを閉めて放水準備が
行われます。
取入口と吹上口との落差が1.7mありますので、サブタの高さを差し引くと、取入口側の石管の水位は0.8m下がり、吹上口水槽のサブタからあふれ出して、安定
することになります。

安定した満水状態の石管総延長は約125m×3列=375mですから、石管>の内径0.3m×0.3mを乗じて、33.75立米の水が溜まることになります。
吹上口水槽サブタまでの量(1.2m×0.9m×6m=6.48)を加えると合計、40.23≒40立米が、一回の最低放水量となります。

原田氏からの聞き取りでは、「水は10分たらず勢いがなくなる」そうですから、写真撮影計画は事前にしておいたほうが得策です。また「放水の瞬間の雄姿を下から
見上げる」ことと「栓を開ける瞬間を至近距離で見る」ことは当然、同一人物では不可能です。

原田氏は通常、開栓後、取入口で依頼人(観光客)の様子を見ておられます。
写真撮影などで時間がかかるような場合、取入口のフタを開け追加サービスをされているのですが、それでも限度はあります。取入口を見上げて、原田氏に合図を
することが可能かもしれませんが。^^;

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24 放水口の仕組みは?

既存の石管の放水口は三箇所とも水路底から下向きに勾配がついており、確実に土砂を吐き出す為の仕組みだと思われます。そうなると放水口から出た水は、
下向きに吹き出すはずですが、改修以前は、どう見ても水平に吹き出していました。
ところが、創建時と同じ勾配で行った改修後は当然のように、やや下向きに吹き出しています。じっくりと見つめると放水全体の表情が違うことがわかります。

原因は、上流側の放水口を厚さ10cmのモルタル、下流側は放水口の下部を削り取って、ほぼ水平に吹き出すような加工がしてあったためです。

創建時の勾配を守るか、後世に変えた角度で再現させるか、迷いがありました。
150年の間にどれだけの放水があったのかわかりませんが、そのたびに放水口の内部は土砂で削られて直径が大きくなったことも充分に考えられます。
が、やはりここ数十年見慣れた放水の形に戻さなければ「社会」が許さないはずだ、という結論はありながらも優柔不断なまま時が経ってしまったのが現実です。

新 しい放水口石管は、既存石管放水口の勾配に併せてストレートな穴を開け、何度か放水をしながら微調整の切削研磨を行う予定でした。が、最後の漏水検査が
終 わった段階で春の観光シーズンに入り、一旦観光用に放水を始めたら常に満水状態を維持せざるをえなくなりました。さてどうしたものか?

テーパー状の木栓を水圧で抜けないように打込むための加工も必要ですし、その機能と放水角度そして放水の勢い(これは管内を広く、放水口を狭く加工しておか
なければ調整が効かない)のバランスのとれた微調整ですから、そう簡単な作業ではありません。

秋の観光シーズンが終わるのを待って微調整の切削研磨を行うことにして、一旦工事は区切りをつけることになりました。(誤解されるのが怖いのですが。^^;)

三 箇所の放水口のうち、通常は一番最初に放水され、最も豪快な水しぶきを楽しませてくれるのが、上流側の石管。微調整で削り過ぎたら、石管を取り換えるハメ
になります。ほぼ勘で削らざるをえないため、ドキドキワクワクの数日が楽しみです。(バチが当たるか?^^; 2002/9/3現在)

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25 放水口微調整の結果は?

10月15日から放水口の微調整を始めました。少し削っては放水して出具合を確かめる、という作業の繰り返しです。その結果18日夜までに、ほぼ微調整を 終わり
ました。完璧とまでは言えませんが、放水状態の外見は、ほぼ納得できるのではないかと思います。放水口の内部壁のちょっとした凹凸や角度の変化で、 吹出しかた
が極端に変わり、さらに水圧の変化でも変わってしまうので、意外と手こずってしまいました。木栓の固定機能を維持しながら放水方向・形 をコントロールすることが、
こうまで微妙だとは恐れ入りました。穴だけに奥が深い。^^;

放水状態の外見では、上流の下段の水量をもう少し多くしたほうがよいのかな?上流上段の放出角度を少し下向きにしたほうが良いのかな?など、不満な部分も残っ
てはおりますが、これは一般の観察者の意見を待つことにします。

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26 通潤橋の要石も槌で打込まれたのですか?

今回の工事では要石を触ることはなかったので、推測でしかお答えしかできません。
私の結論は「そんなことは無理。無茶」です。

大 正10年に架橋された菊水町の「かまど橋」に居合わせた人の証言に、「下橋(支保工)を作った後、両岸から巻石(輪石)を積み、最後に中心の石(要石)をかけや
で打ち込むと、巻石が張って下橋との間に隙間ができます。この隙間が出けんとめがね橋はでけまっせん」「止め石(要石)は巻石の厚さより三センチ程 長か石をつく
ります(当時の石工)」とあります。

「かまど橋」の場合、直径が10m程と小さいとは言え、輪石の重量は相当なものですか ら、3cm長い石を木槌だけで叩き込んで押し広げることは、摩擦力もあり、不可
能です。また、柔らかい溶結凝灰岩に強い衝撃を与えることは、特に重要と思 われていた要石に対しては、非難されるべき行為工法ではないでしょうか。
アーチの直径が60cmと2m程の石橋の要石を叩き込んでみましたが、ビクともしませんでした。支保工で輪石を微妙に浮かせなければ、正しい位置に微調整する事も
不可能でした。

実際の施工では、要石を叩き込みながらも支保工に補助柱を入れ、並べ木を受ける梁を、下からクサビで押し上げてはめ込んだとしか思えません。そうすべきです。
叩き込んでいるように見えたのは、位置の微調整をしているのであって、支保工を浮かす作業が目立たなかったからではないか、と考えられます。

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27 アーチ橋は、どのくらいの重さまで耐えられるのですか?

アーチ橋の耐力は、使われている石材の圧縮強度とほぼ 同じだということが、’08年冬に熊大工学部でミニチュアの石橋を使って載荷実験をやった結果わかりました。
通潤橋の場合、やや固めの熔結凝灰岩なので、だいたい500kg/cm2(旧単位)程度です。1cm四方に500kgの重量がかかったら壊れる、という意味です。

通潤橋の表面積は、長さ:約80m×幅約6.5m=520m2。
520m2は、5,200,000cm2ですから、500kg(0.5t)を掛けると2,600,000tとなります。通潤橋の上に、260万トンが満遍なく乗ったときに壊れる、という計算です。
人の体重を50kgだとすると、5200万人が乗ったときに壊れる、ということになります。・・・イメージできませんね。

10tダンプが荷物を積むと20tですから、260万トンを割ると、13万台です。・・・わかりにくいですね。^^

金のインゴットにしましょう。比重19.32ですから、260万tを割ると、134、567m3。面積520m2で割ると、259m。
通潤橋の表面全体に高さ260mの金のインゴットが載ったら、通潤橋は粉々に潰れる・・・と云う計算が合っていればのお話です。

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